日記というか最早黒歴史帳です
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どうせ死ぬなら思いっきし空に投げ出されて、ぽーんってなって、うはー死ぬーとか思ってみたい。
んな馬鹿なことぽかんて考えてさ、で直ぐ何にも考えられない空っぽの頭で落ちてんなぁって事だけ感じてるのが死ぬ直前だったとしたら私きっとすごく幸せだと思う。そうありたいと望む。
死ぬ直前まで暢気ってそれは最高に幸せだったって事の証明じゃないか。なんか間抜けだけど、いいな。
安定したものは誰だって好きだろうけど、私はジェットコースターにも乗ってみたい。どうせ乗るなら叫びたい。で、乗る前は万が一の事態を想定して青くなったり肝を冷やしたり、でも乗ってる最中はうへー速ぇー引っ張られてりゃーくらいの妙に冷静な頭でいることが常である。ここぞとばかりに叫んでおこうと無駄に声を上げる。
何叫んでんだよ、はは…と思う自分もいるけどその15倍くらいの私が折角だから叫んどけよ大声出す機会なんてそうそうねーぞって言ってる。そうだよなと全私は賛同する。叫ぶ。私の中で凄く盛り上がる。そうすると無駄にはしゃぐ自分に白けた眼を向けてたはずの自分もなんか盛り上がって恥ずかしくても楽しくていーな、となる。ちょっと満足する。
純粋な恐怖感だけなら4階の手すりから下覗き込んで今万が一の事態があって此処から落ちたらどうなるだろうかと冷静に冷静すぎるほど真剣に考えるときのほうがよっぽど怖い。でも私はジェットコースターが好きだ。なんか頭の中がぽかーんってクリアになる気がする。
打算的な自分はどうやっても消えないけど思い切り楽しいことしたいよねって純粋に考えてる自分がいるんだってことが分かる。心底分かる。そうすると私は幸せに育ったなぁと思って、その事にほっとするような泣きたくなるような不思議な気分になる。それは何処と無く郷愁に近い気がする。自分への郷愁。
別に恐い思いしたい訳じゃないから手すりの隙間から身を乗り出しつつ真剣に落ちた場合を想定することはそう頻繁にはしない。偶にはする。たまに。高所恐怖症の気があることは薄々感づいているけどマゾじゃないので誰にも言わない。やっぱり土の上がいいよなと思う。
人の思考回路が分かったら楽しそうだなぁと思うんだけど、で、そこそこ仲良くなりかけの人相手だとついこの人はどういう考え方するんだろうとか分析したくなるんだけど、でもアンタの考えてることのが一番楽しそうだよと言われてえっそうなのかぁ…そっかぁ隣の芝は実に青いんだなぁと思った。自分でも馬鹿なこと延々と考えてられるのは幸せだと思う。楽しい。人のこころうちを想像するのも楽しい。
ある日突然「ヌ」について疑惑を抱きゲシュタルト崩壊起こすほど延々と考え込んで結局えぇい分からん良いではないかそういうものなのだと投げ出すのもそれはそれでとても馬鹿らしい…いや素晴らしい、馬鹿だけどだからこそ素晴らしいのだ…と思うことにする、すごく馬鹿だけど。でも人から楽しそうと思われてるならそれはそれでオーライ。羨ましいとは思われないのがポイント。
これからも馬鹿なこと考えながら生きていきたいなぁと思う。一日30分でもそうやってぼうっとする時間があって、で本が読める人生を送れたら多分この上ない幸福である。
だから勉強ばっかで馬鹿なこと考えられない毎日っていうのはそれなりにしんどいに違いないので吐き出しにきました。
(長い)
(長い)
(めっぽう長い)
(おまけにくどい)
(中身が無い)
まぁ此処を見てる人なんざいないだろうし…睡眠時間ささやかに削ってちょっと電波逃がすくらい良いじゃないねぇ。煮詰まると大抵こんな良く分からないことをぼんやりと考え出します。自分のことが一番良く分からない。鬱気質なのは知ってる。ネガティーヴ。
まぁ多分ぼんやりする時間があって本が読める生活ならそれなりに楽しめると思うんだ。ていうかすごく楽しいと思うんだ。で、そんなのきっといつでもどこでも出来るんだ。
だから今は勉強なんだよなぁ、結局。今くらいしか出来ないことだし、実になってると思うと楽しいもの。でも息が詰まるからたまには抜きたい。
吐き出せるところが他に無いって悲しいけど、まるで無いわけじゃなくて良かった。考えすぎでノイローゼ化する気がします。頭がパーン!昔から情緒不安定気味です。
うん、やっぱり上を目指したい。から頑張る。
口で言うだけじゃ声って消えてなくなっちゃうから不安になっちゃう。眼に残るものがあると、やっぱりちょっと、安心する。やらなきゃって気にもなる。
一度始めると際限なく続けてしまうのは悪い癖ですね。大分落ち着いたのでまた頑張ります。
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