日記というか最早黒歴史帳です
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※超 カオス
すごくそわそわしてどうしよう何かで発散しなきゃ眠れないと思ったので暫定的に此処に。
文を書くつもりが無いので、読む気があるとしたらそれを踏まえた上でお願いします。
凄く、素敵、と言うかビビリときてそわそわして何だか意味もなく気が急いて何かしたいなぁしたいなぁ、そんな気持ちにさせられてどうしようもない。
道に迷った子供の起こすパニックみたいな、そんな感じが奥から奥からじわじわきて、きっと感動と言うよか何か、何だろう、感銘とでも言うのかな、小さなニュアンスの違いがある気がする。
こういう時言葉ってもどかしい。私がもどかしい。どうして自分の話す言葉なのにうまく使えないんだろう。万能じゃないんだろう。でもそこが好き、難しいような簡単なような、実際行動で示したほうが伝わり易いんだろうけど、でも好き。もどかしくても言葉が好き。
子供の使う拙い言葉のほうが分かりやすくって、何を難しくする必要があるんだと思うたび、格好つけたいのかなと微笑ましい気持ちになったり。素直に言うのが恥ずかしいのかなとか思ったり。
下手に格好つければそれはそれで恥ずかしいよね、と、でも恥ずかしく思うことがとても可愛らしいように思えて、難しいものだなぁと思うことも楽しくて、だから考えるたびに行き着く先、いつも結果が単純に好きなんだということを知った上で考えるのが嬉しいようなくすぐったいような。
中毒っていうのはこんなことをいうのかなぁ、ちらりと思うけれど、中毒と言うよりは食事とか睡眠とか生存本能に基づくそれと同じくらい自分の中での比重が大きいと言うだけで、なんだろう、ちょっと違う気がする。そもそも中毒って言い方は好きじゃない。でも、中毒と思われるくらい私のベクトルがそれに傾いているなら、ちょっと嬉しい。
だってそれだけ分かりやすく傾いてるって事は、それだけひたむきになれているって事で、嗚呼わたし分かりやすいじゃない、ってそんな事で笑いたくなる。本当はいつもどこか笑いたい気がしてる。いつもそんなことばかり考えているわけでもないけど、頭の中でも大きい比重を占めてるとしたら何だか可笑しい。
やっぱりわたしは感覚的な人間だから、感覚に、感情にずどんとくるものが好き。そういうものに目が奪われる、興味が引かれる、心が向く。ずどんとくる書き方が好き。話し言葉にしろ、心情描写にしろ、読んでるのか自分でそう思っているのか分からないほどぐだぐだのぐちゃぐちゃに共感してしまうようなものが好き、かもしれない。でもそれは確かじゃない。統計を取ったわけでもないし、よくよく考えたわけでもないから気のせいかもしれない。
確かじゃないけど、でもきっと心を書く言葉が好き。何だか、思いだとか何だかを示そうとする言葉が好き。そんな気がする。
もともと感情や心情は表現できるものじゃないと思っているから、書くだけでも頑張って少しでも伝えようとしているように思えて、伝えてたいって気持ちが直に伝わるような気がして、(結局自分が勝手にそう思ってるだけだけど)とても好き。
授業でも、小さい頃は主要教科というよりは家庭とか美術とか音楽とか、そういったものの方が得意だったような。感覚的、と言うか、実際に体験できるものが。賞をもらって何になるわけでもないけど、無いよりは良いような気がするし、つるつるした何枚かの賞状、なくしちゃったけどなんとなく誇らしい気持ちになった気がする。賞をもらって、器用だとか凄いとか頑張ったとか褒められること自体は恥ずかしい気持ちのほうがずっと強かったけど、落ち着いた後なんだかじんわり嬉しくなるあの感じは好きだったような気がする。もらった言葉を反芻してふくふく誇らしいような楽しいような、無性に笑いたくなった時の感じ。
そんな感じの、なんともいえない気持ちがそのまま書かれてて、何だかとっても、感銘なのかな、そう言えば良いのかよく分からないけど、知ってる言葉で一番近いのはそれ。
思考なんてぷかぷか言葉が浮かんでは消える、そんな止め処無いものだと思っていたけれど、それがそのまま文字になってて、羨ましいような驚いたような、でも言葉にしたらきっと、凄いなぁ、しか私は言えないんだろうな。あーあ。
歯がゆいような、嗚呼寝なきゃいけないのに、それが何だかとっても悔しい。もっと見ていたいの。
もう少し浸っていたいと思うけど、眠って纏めれば、少しは分かるようになってるかもしれない。
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