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確かこんな歌詞があったような気がします……「嫌われ松子(略)」には、正反対の事が並べられている。
愛は泡のよう、と言ったかと思えば、愛が何より尊い、と謳う。
きっと其れで良いと思います。何が真実なのかは、一人一人違っていて、そして其れは絶えず移り変わっていくものですから。
「弧笛のかなた」を読んで、居ても立っても居られず急いで開いたのが此処でした。書くのがサイトより手軽ですし、やりやすいから(動機が微妙)
正直に言うと、読む前はこの本を読む意欲が湧かなかったのですが、母の強い勧めがあって形だけでも、と読み始めました。
そして、帯や背表紙に書いてあることは正にその通りだ、と痛感しました。もしもこの本を読んでいなければ、私は二回目のブログ更新をする事無く、何時も通りだらだらと一日を終えていたでしょう。
愛とは、口に、言葉にすると何処か胡散臭く、軽く聞こえてしまいます。
けれど、偉大な、尊いものなのだ、と思いました。今まで私は分かっていたフリをしていただけなのかもしれません。もしかしたら、今もそうなのかもしれません。
けれど、私は間違いなく胸を打たれました。暖かくて、何処か切なくて、堪らなくもどかしい想いに駆られています。
幸せは、他人が決めるものではない。正にその通りです。
この本を読み終わってから数分が経過した今も、私はその想いを感じています。
この口は「良い話」としか言えないけれど、この身体は其処に含めたあらゆるものを感じる事が出来るのです。
一秒でも良いから、今私が感じているものを残しておきたい。ほんの僅かでもいいから、誰かに伝えたい。
小説は偉大です。文系に進んだのも、今になって思い返せば幼い頃の小説家になりたい、と言う夢からだったのかもしれません。
恥ずかしくて誰にも言わなかったけれど、心の何処かでずっと抱いてきた夢なのです。
人として生まれ言葉を用い、言葉の素晴らしさに触れ、心を動かされてきました。
感動した瞬間に溢れた気持ちは口では到底表せず、実際臆病な私は周囲の反応に怯えて口で表そうともできないのです。
けれど、今確かに感じている「感動」を少しでも伝えたい。残しておきたい。
どんなに幼稚で、拙い文章でも。どれ程馬鹿らしくて、他人に笑われるような下手な言葉でも。
今の熱情の証明が、欲しくて堪らないのです。だから私は誰に馬鹿にされようが、文章で心を伝えたい。