日記というか最早黒歴史帳です
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とある方の書かれたお話を見て、何故だか死ぬほど泣きたくなった。
それが別離のお話だったからかもしれないけど、「いつまでもあの日のまま」という表現に、何故だか死ぬほど泣きたくなった。
一度泣きたくなると、それこそ瞼が腫れて痛くなるまで泣き続けるのが私です。
人より甘やかされて育ったからか、元来そういう性質なのか、酷く泣き虫で甘ったれで(だから理想論ばかり口にしたりして)。
きっと私も我が子を甘やかしてしまうのだろうと思います。叱る時は叱るけれど、やはりかわいくて仕方ないだろうと。
甘やかすばかりが良いこととは言わないけど、分かりやすく愛を示すことが悪いこととも思えない。
分かりやすく示された愛は、分かりやすく伝わるんです。ずっと、覚えているんです。小さい頃のことも、ちゃんと。
おんぶされて背中で眠りながら家に帰ったこととか、ひとコマひとコマ、写真みたいに覚えてるんです。
泣いた理由も忘れてしまったけれど、ぐずる私を膝の上に乗せて、背中を撫でて宥めてくれた母の声とか、全部覚えているんです。
どうしてこんなに泣きたいのか分からない。きっと「不変」があることをたまらなく思ってるんだ。
優しい言葉も嬉しいけれど、言葉無く抱きしめてもらったことの方がよく覚えている。そうやって示された愛情は時間が経っても変わらなくて、思い返すと温かくなる。
ああ、でも今ばかりは、優しい言葉に泣きたくてたまらない。
いつまでも変わらないもの、あるのかもしれないしないのかもしれない。私はあっていいじゃないかと思う。
若しかしたら母の中では私はいつまでもあの日のままの、泣いて縋って、疲れて眠ってしまった子供のままなのかもしれない。
人の中にはいつまでも変わらないものがあるのかもしれない。現実にどれだけ変わったとしても、色褪せないものがあるのかもしれない。
何が変わっても、残されるものがあるならいい。
私はそう思いたいだけだけど、それが真実ならどれだけ良いことか。
本当に、そうならいいのに。
生き物はいつかは必ず死んでしまうものだし、それには別れが必ず伴うと知っているけど、悲しい。やさしくてやさしくて悲しくなる。死は時としてはひどく穏やかで、やさしい。だから残酷なのだけど。
あんまりやさしくて泣けてしまう。逸らさずまっすぐ来るから、泣いてしまう。
ああでも今ばかりは、泣き虫でよかったかもしれない。
だって泣く度に思い出すことがあるから。貰ったものをちゃんと思い出せるから。
目鼻が痛くなっても頬が引き攣っても胸が苦しくても、泣き虫でよかったかもしれない。
「いつまでも変わらぬ」の響きが、やさしすぎて、かなしい。切ない、と似てるのかもしれない。
まっすぐの言葉が悲しい。分かりやすいから、分かりやすく伝わるから、悲しくて泣いてしまう。
ああ。
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